馬油(ばあゆ)と言っても、知らない人がありますが、読んで字の如く、馬の脂肪から採取した油のことです。動物油にも色々あり、牛はヘッド、豚はラード、羊はラノリンと言う洋名があります。しかし、鯨は鯨油(げいゆ)と言い、馬は馬油(ばあゆ)と言うしかありません。馬油と言う呼び名は、私が作った"造語″ですから、辞書にも載っておらず、商標登録(特許庁)もしたのですが、一般には原料名の固有名詞と思われています。

馬油と言う字が辞書にも載っていない程、日本では長い間≪馬油≫は忘れられていたのです。殆んど総ての動物油が、日本政府が定めた≪日本薬局方≫の生薬の中に分類記載されていますが、不思議な事に馬油だけが記載漏れしており、生薬としての物品籍がありません。一般に、自然の食品は総て≪生薬≫になっており、牛脂(ヘッド)も豚脂(ラード)も羊毛脂(ラノリン)も、生薬になっているのですから、馬脂(馬油のこと)が生薬にされていないのは、何かの手違いによる記載漏れとしか思われません。

日本の物品籍は、昭和三十年代に数年を費して整理しなおされましたが、その時、どこの管轄省庁にも≪馬脂≫の籍が無かったらしく、私の調査では、軍用馬の統制の関係で、日本陸軍省が馬に関する総ての記録を保存していたものを、終戦時の混乱の中で書類を紛失し、馬肉や馬脂が物品籍に記載漏れしたのではないか、と思われます。丁度、出生届けをしないで戸籍が無いままになっている人間と同じで、馬油の研究が進んで製造を始めた後、一番苦労した事でした。

私は、古代の唐僧の古寺を再建して、その寺の伝説に出て来る≪馬油≫≪梅雲丹≫の研究製造を試みながら、日本の昔からの馬油の推移を調査してみました。すると、馬油と言う字はありませんでしたが、馬油と同じ効能を持つ民間薬に≪ガマの油≫と言うのが、広辞苑に載っていました。そこで蝦蟇が沢山いると言う茨城県の筑波山附近を始め、全国的に調べて見たのですが、実際に蝦蟇から油を採って作った事などは、昔から全く無い≪ホラ話≫である事が判りました。

では、≪ガマの油≫とは、一体何の油だったのでしょうか。辞書には、『昔は、武士が軍中膏に用いた』と書いてあります。色々調査した結果、遂に≪ガマの油≫は蝦蟇から作った油ではなく、馬の脂肪で作った馬油であったと判断し、発表したのです。

徳川五代将軍綱吉は、元禄時代と言う言葉が繁栄爛熟時代の代名詞になった程の、太平裕福時代の将軍で、『生類憐れみの令』などを布告し、俗に犬公方などと言われたことも有名ですが、その布告のため、日本の庶民は牛肉や馬肉を食べられなくなりました。

日本の文明は、主として中国や朝鮮から移入し、拡がった文明ですから、牛肉、馬肉、羊肉なども当然食用にして来たのですが、江戸時代の中期以後は表向きは禁止され、牛馬の肉はすべて鯨肉(鯨は魚と思っていた)に化け、塩漬にして魚屋や乾物屋で売られました。一級二級の鯨肉は実は牛肉と馬肉、並の三級品が本物の鯨、お徳用の等外品は≪山鯨≫とも呼ばれて、猪の肉でした。兎は鶏肉の中に化けこんだのでしょう。日本の庶民は貧しかったので、育てて使った牛馬を食肉にせず捨てるような勿体ない事は、とても出来ることではありません。お上の眼をごまかして、ちゃんと食べていたのです。

皮は、牛も馬も大切に使われましたが、馬の皮の方が昔から高級品で、武具なども高録の武士の甲鎧には、馬の皮(コードバン)が使われています。日本は周囲を海で囲まれていますので、鎖国などと言う国際的にも我がままな独裁政治がし易く、権力に刃向って弾圧されると、弱者は逃げようにも海で封鎖されている国ですから、外国人のように隣国に逃げこむ訳には行きません。日本を統一した独裁権力が強力な間は、国民は逃げる事もできぬ絶対服従を余儀なくされた訳で、日本人独特の習性と言われる、『本音はあくまで隠して、建前論のみで押し通す』、滅多なことでは本心を現さない淋しい性質は、閉鎖された島国の独裁権力の下で生きて来た日本人が、身を守るために滲みつかせた国民的習性だと思います。

徳川時代より以前の、戦乱が続いた戦国時代までは、ガマの油などは存在せず、中国から伝った知恵のままに≪馬油≫を軍中膏に使っていた筈です。だから、武士の家では≪馬油≫は武具と同じように大切な物だったのですが、徳川氏が日本を統一して泰平の世が定着すると、馬油ばかり沢山溜めこんでいても余りますから、武士から商人に、薬効を伝授して払い下げたのでしょう。

しかし、四足の牛馬は食用禁止の時代ですし、『脂肪身で馬油を作りましたが、肉は食べていません。』とは、中々ごまかしきれません。武士が可愛いがっていた馬が、年老いたために屠殺したのですから、『我が馬の油』を『我馬の油』→『ガマの油』ともじって新語を作り、馬油であることを隠して売ったのに違いありますまい。このような新語を"大和言葉"と言い、日本人が作り出した日本製の漢語(造語)で、ほかにも沢山あります。

一番有名なのは≪馬鹿(ばか)≫と言う言葉でしょう。『中国の無能な王様が、馬と鹿を間違えるほど"バカ"だったので、忽ち亡ぼされたことから≪馬鹿≫と言う言葉ができた』と、ホラ注釈まで附いていますが、それが本当なら馬鹿(ばか)とは読まず、馬鹿(ばろく)と読みます。日本読みの鹿の≪か≫と読んだのが、日本製言葉の特徴で、我馬の油(がまのあぶら)もその類です。

戦後の造語の傑作は≪ナイター≫でしょう。野球の夜間試合を、ナイトゲームと言わずに≪ナイター≫としゃれて言ったのは、マスコミのスポーツ記者だそうです。ナイターを英語と思っている日本人がいるかも知れぬ程の傑作です。つまり、こんな経過で、馬油は、≪ガマの油≫に変名し、大道商人たちは又その名に輪をかけて、『四六の蝦蟇の油汗を煮つめて作った・・・・』とか何とか、面白おかしく口上を並べ立てて売りましたから、二百年以上も年月が過ぎると、日本の一流の辞書からも馬油の字は消え去って、替りに≪ガマの油≫が記載され、"ひき蛙から作った民間油薬"などと書かれてしまいました。

辞書や新聞記事などの間違いを、一庶民が指摘したりしますと、もしそれが権威者の勘にさわった時は大変で、ひどい弾圧を受けますから、こんな詰らぬ≪ガマの油≫の間違い指摘でも、発表するのには相当勇気が要りました。
『日本の歴史は小説に近い。』と、或る歴史学者が嘆いていましたが、少々の学者が言った位では、日本式小説歴史は訂正されません。

小説歴史を作った強者の体質が、現代の強者の中にめんめんと受け継がれているからです。法螺と言うユーモアも、余り長い間言い続けていると、ホラと本当が溶け合ってしまい、真実が隠れて判らなくなります。しかし、小説歴史にしろ、ホラ話にしろ、どこかで誰かが真実を伝え残しているもので、時代が移り変るうちに、何かの拍子に明るみに出て来ます。

戦後すでに四十数年、私が馬油の研究を始めてから、もう四十年になります。昭和六十年までは、昭和二十七年に創業した(有)筑紫野物産研究所一社が馬油メーカーでしたが、『ガマの油は実は馬油だった』と発表したとたんに、真似をして作る商人が出始め、現在では全国で二十社近くの製造者がいるようです。いるようですと言う訳は、いずれも中小企業者で、医薬品や化粧品の免許を持たぬまま、薬事法をかいくぐって営業しているため、中規模の業者は少しは名も知れますが、小規模業者は変幻自在で実体が掴めません。

元祖メーカーの筑紫野物産に産業スパイを潜入させたり、馬油の民間研究団体である『馬油愛用友の会』の研究資料や会員名簿を盗み出したりする、悪質な商人も最近は出現し、それらも次々に模造メーカーになって行きましたから、馬脂原料が豊富な間は、メーカーは増えて行くでしょう。それらのメーカーを、私が模造者だと言う訳は、彼等の商品の説明書の内容が、総て研究発表文から流用している事が、一読して判るからです。

公然と配布する説明書は、薬事法違反にならぬよう非常な苦心をして作製しましたから、一字一句に独特の特徴があります。物真似商人は説明文を新しく考える事さえ面倒らしく、何もかも真似をしてしまうのです。しかし、彼等はあくまで物真似商人ですから、馬油を現世に復活させることに法を超越した正義観を持っている訳ではなく、勿論『何故、馬油がこのような薬効を出すのか』と言う学術的理由など知る由もなく、只ひたすら好評の馬油でお金儲けをしたいだけなのです。

ですから、私が発表した『ガマの油は、我が馬の油が我馬の油→ガマの油ともじられた造語』と言う珍説を、素直に信じて真似しております。この説は、前述したように、調査研究して、『そうに違いない』と確信したからこそ、発表したことではありますが、正確な物的証拠は、実の所全く掴めませんでした。

真似をして作る事も、所期の目的であった、『人類に有益な馬油を、現代に復活させよう』と言う趣旨は知らなくても、行動は応援してくれている訳で結構なこと、しかし中には″金儲け精神″ばかりが突出して、○○配合とか金箔入りとか、素人だましの高価な暴利商品にしたり、馬油の有効成分が毀れてしまうような加工精製をしたり、他の脂肪を混ぜてクリーム状にしたり、甚だしいのは石油系の固形剤(パラフィン等)を混ぜたりする模造者もいますので、『真似しても良いから良心的に真似しなさい』と、言いたくなってしまいます。

元祖の(有)筑紫野物産研究所は、長い間薬事法の規制の中で孤軍奮闘し、昭和六十三年秋、ついた長年の良品質製造の実績により、『馬油は人間の皮膚を保護する油である』と認められ、厚生大臣より正式の許可が下りましたので、化粧品メーカー≪ソンバーユ株式会社≫を併設して発足させました。因に、≪ソンバーユ≫とは、尊い馬油と言う意味をこめて、名誉顧問の私が名付けた、日本で初めて正式許可を得た≪馬油≫の名前であります。